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大阪地方裁判所 昭和50年(わ)4150号 判決 1976年10月25日

主文

被告人榎英充を懲役五年に、

被告人姜一、同下崎節夫を各懲役三年に、

被告人辻廣和を懲役一年一〇月に、

それぞれ処する。

未決勾留日数中、被告人榎英充、同下崎節夫に対しては各二一〇日、被告人姜一に対しては二二〇日、被告人辻廣和に対しては二一五日を、それぞれの刑に算入する。

被告人榎英充から、押収してある模造刀剣一振(昭和五一年押第六七五号の一)を没収する。

訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。

理由

一被告人らの経歴等

被告人榎は、榎光男、せつ子夫婦の長男として出生したが、小学生時に両親が別居し、事実上の離婚状態となつたため、当初は兵庫県姫路市在住の父に、中学三年生時から山口県吉敷郡在住の母方祖母に養育され、山口県下の高校を二年生で中途退学したのち姫路市の父方に戻り、以後正業に就かず、昭和四〇年ころから暴力団の旧本多会系小川会組員山本勝の舎弟となつて賭博やいわゆるのみ行為に従事していた。昭和四三年五月ころ同組を脱退し、大阪市在住の母せつ子を頼つて来阪し、東大阪市内で平川貴章こと鄭容球(当三〇年)が経営するパチンコ、麻雀、中華料理等店「八戸ノ里会館」に住込み、パチンコ店々員として勤務し、やがて同店のマネージヤーとなつたが、昭和四七年一二月右鄭容球の弟平川俊光こと鄭容洙(当三〇年)が大阪市内で経営するパチンコ店「加賀屋会館」の主任に転じ、昭和四九年三月には右鄭容球及び鄭容洙らの兄平川俊文こと鄭容謹が社長である平川商事株式会社が東大阪市内で経営するパチンコ店「アロー会館」の店長に就任したもの、被告人姜は、李某と姜仁玉の間に出生したが、出生前に父が行方不明となつていたため、母と同人の内縁の夫金泰龍によつて養育され、昭和四四年四月大阪朝鮮高等学校に入学したものの、義父死亡のため一年生で中途退学したのち、廃品回収業の店員や工員等の職を転々とするうち、昭和四九年五月ころ山口組系佐々木組内鹿田組々員朴生来の舎弟となつたが、間もなく同組を脱退し、その後は廃品回収業、ゲーム機械リース業等をしていたもの、被告人辻は、大阪市内の高等学校を中途退学したのち、合板、紡績会社等の工員、自動車運転手等をし、昭和五〇年七月ころから廃品回収業の店員として稼働していたもの、被告人下崎は、本籍地の中学校を卒業後、皮革店、精肉店の店員、土工などをし、その間昭和三四年ころ旧本多会系大崎会の組員となつたが、約二年で脱退し、昭和四七年二月ころから板金工として稼働していたもので、被告人榎は、前示の小川会組員山本勝の舎弟であつたころ同人と親しく交際し、同人を介して組員仲間の被告人下崎、山口芳清とも交際を持ち、同会を脱退して来阪してのちは、同人らとの交際も途絶えていたが、被告人下崎、山口及び山本は、互いに従前同様の交際を続けていた。一方、被告人榎が「アロー会館」の店長をしていた昭和四九年三月ころ、中学時代の同級生であつた被告人姜及び同辻が、同会館に出入りするようになつたことから交際を持ち、被告人姜及び同辻は、被告人榎から物心両面に亘る援助を受けたことにより同被告人に対し恩義を感じ兄事する心境を持つていたものである。

二後記三の第一の(一)(二)の犯行に至る経緯

被告人榎は、「アロー会館」の店長となつた当初、真面目に勤務していたものの、多忙な勤務であることも手伝つて昭和四九年一一月ころから覚せい剤を常用し、次第に勤務状態が不良となり、給料の前借を重ねたことから社長である鄭容謹に注意され、一旦は立直つたかにみえたが、昭和五〇年七月ころから再度覚せい剤を常用し、出勤が常ならず、生活態度が不良という状況になり、同年八月には殆ど出勤しなくなつたことから、遂に同月三一日付で解雇されるに至つた。ところが、被告人榎の母せつ子の内縁の夫である今田巖が、昭和四八年から鄭容球の経営する「八戸ノ里会館」の経理事務員として勤務していたが、被告人榎が解雇された前日の同月三〇日さしたる理由もないのに、被告人榎との身分的なつながりの故をもつて同人から退職を迫られたため、同日退職するのやむなきに至つた。被告人榎は、自らの解雇について自己の不行跡を自認していたものの、永年鄭三兄弟の各パチンコ店に勤務し、激務に耐え、相当の業績を挙げていたにも拘らず、一時期の不行跡を理由に退職金もなく解雇されたことに大いなる不満を抱いていたし、何らの不行跡もないのに拘らず、自分との身分的つながりのみを理由に今田を退職のやむなきに至らしめたことを知るに及んで、鄭容球に抗議したが、容れられなかつたため、同人及び鄭容謹に対して恨みを抱くに至つた。そして、今田方で徒食するうち、同年九月一〇日ころ同人宅で、同人が「八戸ノ里会館」の経理事務員として勤務していた間にひそかに作成した昭和四九年六月分から昭和五〇年八月分(同年六月分は欠損)までの同会館における実際の売上げ金の明細及びその内から毎日数万円から数十万円を除外した金額の明細を記載したメモ一四枚位(いわゆるB帳簿)を所持しているのをみて、これを利用して鄭容球の脱税の事実を暴露するかのように装つて同人からB帳簿の買取名下に金員を喝取しようと考え、今田から右B帳簿を預つたうえ、同年九月中旬ころ、他人を介してB帳簿の写しの一部を右鄭容球に示し、その二、三日後今田を同道して「八戸ノ里会館」に赴き、鄭容球及び同人経営の「八戸ノ里会館」の管理責任者であるとともに、同人が社長をしている株式会社貴章(パチンコ店「土居国際会館」を経営)の常務取締役である松本誉一郎(当四〇年)と面談し、鄭容球に対して暗にB帳簿の買取方を要求したところ、同人も買受意思を表明したため、翌日今田を介して売渡金額は金二〇〇〇万円である旨申向けていた。ところが、同月一八日、突如、松本が鄭容球の伝言として「B帳簿の買受交渉を中止する。B帳簿を無条件に引渡せ。引渡さない場合にはやくざに取りに行かせる。一家の者がどうなつても知らない。」旨を母せつ子を介して伝えてきたため、万一を慮つて今田夫婦を避難させ、被告人姜及び同辻に事情を打明け、その助勢を得て今田方に待機していたところ、同月二一日には鄭容球の長兄である鄭俊一から「B帳簿を引渡さない場合には、お前らをいわしてしまう。」と申向けられ、さらに、同日松本から「鄭容球が菅谷組の者を使つてB帳簿を取返すと言つている。」と聞くに及んで、右両被告人の助勢を得ても到底鄭容球らに対抗し、同人にB帳簿を買取らせることは困難であるから、かつてのやくざ仲間の加勢を得んものと考えるに至り、同月二二日右両被告人を同道して被告人下崎の肩書住居に同被告人を訪ね、従前の経緯を話し、B帳簿買取名下に鄭容球から金二〇〇〇万円位を喝取するについての助力方を要請し、ついでそのころ山本勝及び山口芳清にも同様の要請をして、それぞれその承諾を得るや同月二五日ころ被告人榎、同姜及び山口の三人で「八戸ノ里会館」に赴き、鄭容球に対して再度B帳簿の買取方を要求したが、拒絶されたうえ、被告人姜及び山口よりおくれて同会館を出ようとした被告人榎が右鄭容球らの手配した三谷組々長三谷伶信ら六名の者に拉致され三谷組事務所に連行されるに至り、即日釈放されたものの、被告人榎、同姜、同辻、同下崎、山口及び山本らは鄭容球らの仕打ちに立腹し、同人に対する憎悪の念を募らせ、同人から金員を喝取する意思を益々強固にするに至つた。

三罪となるべき事実

第一、(一)、被告人榎、被告人下崎、山口及び山本は、昭和五〇年一〇月一〇日前記被告人下崎方において、鄭容球に対して最終的なB帳簿買取要求をするべく、同人に架電したところ、同人より手厳しく拒絶されたことから、もはや尋常の手段、方法では同人からB帳簿買取名下に金員を喝取することは困難であると判断し、かくなるうえは同人を略取して支配下におき、そのうえで金員を喝取することに一決するや、同月一一日被告人姜及び同辻を呼寄せて大阪市東区内本町所在の「大阪国際ホテル」に止宿し、右決意を両被告人に話して協力方を要請し謀議を重ねた結果、ここに被告人榎、同姜、同辻、同下崎は山口及び山本と共謀のうえ、鄭容球を略取して同人にB帳簿を買取らせ、その代金を松本から喝取して利益を得るとの営利の目的で鄭容球を略取することを決意するに至り、その後同月一四日までの間に略取計画を練る一方、各自の役割をきめ、犯行に使用するための改造挙銃、模造刀剣(昭和五一年押第六七五号の一)、手錠等の準備、レンタカーの借用、監禁場所の手配、略取場所の下見等をしたうえ、被告人姜、同辻、山口及び山本の四名が同月一五日午前零時三〇分ころ、被告人辻の運転するレンタカー・ルーチエに乗車し、東大阪市中小阪三九七番地先路上において、自宅に帰るため同所を通りかかつた鄭容球運転の大型乗用自動車ベンツに故意に接触させ、その状況をみるため降車した同人に対し被告人姜、山口及び山本が取囲んで腕をつかみ、被告人姜が改造拳銃、山本が模造刀剣をそれぞれ横腹に突付けて「騒ぐと殺すぞ。」などと申向けて同人をベンツ後部座席に押込み、山口が手錠をかけ、被告人辻が右ベンツを運転して同市長田内介七九番地先路上に連行し、同所で待機していた被告人榎もこれに加わり、同所に準備していたレンタカー・デリバリーバンの荷台に同人をかかえ込み、同人の目にガムテープを貼付けて目隠しをし、布団袋を被せたうえ、全員右デリバリーバンに乗車し、被告人辻がこれを運転して同日午前二時三〇分ころ被告人下崎方に至り、同所で待機中の同被告人の案内でかねてより準備していた姫路市大手野字長ケ鼻五八番地の一県営住宅七棟五〇二号室に連込んでその支配下に置き、もつて同人を営利の目的で略取し、

(二) ついで、被告人榎、同姜、同辻、同下崎は山口及び山本との前記恐喝の共謀に基づき、右日時ころ、右県営住宅七棟五〇二号室において、被告人榎、同姜、山口及び山本において、こもごも改造拳銃で鄭容球の頭部を殴打し、銃口を頭に突付けて空打ちし、模造刀剣を突付け、刺身包丁(同号の二)を畳に突立て、同人の指を反り返し、「お前いくら出すんか、このまま山に連れていつて埋めたろか、お前の命はたつた三〇〇万円か、そんなはした金だつたら殺した方がええ、手初めに指を一本一本折つたろか。」などと申向け、被告人下崎はもつぱら仲裁役に回つて「ここまできたらどういうことになつたか位わかるやろ。わしがあいつらにいいように話してやるから、そつちもできるだけのことはしてくれ。初めにB帳簿を売りに行つたとき二〇〇〇万円の値段やつたから、少くとも三〇〇〇万円は出さんと話にならんのとちがうか。」などと申向けて暴行脅迫を加え、B帳簿を高価格で買取るよう要求し、同人から小切手を含めて金五〇〇万円出すとの案が出た同日午前一一時ころ、同人をして同室から大阪府守口市土居町二四番地「土居国際会館」の松本に架電させ、「榎と一緒にいる。店の有金と二〇〇万円の小切手を切つて榎に渡してくれ。」などと言わせて、鄭容球が略取され被告人榎らから金員等の交付を要求されていることの情を知つた松本をして、右被告人榎らの要求に応じなければ、鄭容球の身体にさらにいかなる危害を加えられるかもしれないと畏怖させたのち、被告人榎及び同姜において鄭容球からその所持する手形、小切手用印鑑在中の金庫の鍵を受取つたうえ、松本から金員、小切手の交付を受けるべく、また被告人辻において鄭容球のベンツを取りに行くとともに、レンタカーを返還するべく、それぞれ同日午前一一時すぎころ同室を出て大阪へ向い、被告人榎、同姜の両名が前記「八戸ノ里会館」前で松本に対し右金庫の鍵を渡した。被告人下崎、山口及び山本は、その後も鄭容球に対してB帳簿の買取金額についての交渉を継続し、同人をしてその取引銀行及び松本に再三架電させたものの、どうしても前記以上の金策がつかなかつたため、遂に共謀のうえ、被拐取者鄭容球の安否を憂慮する実弟鄭容洙からその憂慮に乗じて財物を交付させようと決意し、鄭容球をして同日午後零時ころ大阪市住之江区西加賀屋一丁目一番五一号「加賀屋会館」の鄭容洙に架電させ、「頼むから一〇〇〇万円作つてくれ。作つてくれなんだらもう俺はあかんね。」などと言わせてすでに兄鄭容球が略取されたことを知つてその安否を憂慮していた鄭容洙に対して財物の交付を要求し、以上の結果、松本をして同人の管理する現金一四〇万円及び額面金二〇〇万円の小切手一通を、鄭容洙をしてその所有にかかる現金九九〇万円及び額面金一〇〇〇万円の小切手一通をそれぞれ準備させ、それを一括して松本から被告人榎に交付させることとした。一方、被告人榎及び同姜は、同日午後四時ころ、大阪市南区の公衆電話から右県営住宅に架電し、山口から「総額金二三三〇万円を松本に交付させることになつたから、受取つてくれ。」との連絡を受け、さらにそのころ山口に架電した際、その内の一部に鄭容洙が用意して交付する財物も含まれていることを聞いて、被告人下崎、山口及び山本が鄭容洙にも財物を要求したことを認識するや、これと意思連絡を遂げ、ここに被告人榎、同姜、同下崎は山口及び山本とともに被拐取者の安否を憂慮する鄭容洙の憂慮に乗じて同人から財物を交付させることを共謀し、以上の被告人榎、同姜、同辻、同下崎、山口及び山本ら六名の松本からの恐喝の共謀並びに右被告人辻を除く被告人榎ら五名の鄭容洙からのみのしろ金取得の共謀に基づき、同日午後六時一五分ころ被告人榎、同姜の両名において被告人榎の指定した同市南区難波新地五番丁五七番地「新歌舞伎座」前路上において、前記のように畏怖した松本から現金一四〇万円及び額面金二〇〇万円の小切手一通を喝取すると同時に、同人を介して、兄鄭容球の安否を憂慮する鄭容洙から現金九九〇万円及び額面金一〇〇〇万円の小切手一通の交付を受けて被拐取者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて財物を交付せしめ、

第二、被告人榎は、鄭容洙、姜一及び辻廣和と共謀のうえ、鄭容洙が他一名と共同経営していた大阪府柏原市清州一丁目一番四四号「柏原ゲームセンター」が昭和五〇年初めころ警察からそのゲーム方法に賭博性が強いとして再度にわたつて警告されたため、廃業のやむなきに至るとともに、ゲーム機械の相場が下落したことから、同ゲームセンター内のゲーム機械及び営業用什器類等一式について東京海上火災保険株式会社との間に保険金一五〇〇万円の盗難保険契約を締結してあるのを奇貨として、右ゲーム機械が窃取されたように装い、盗難保険金名下に金員を騙取しようと企て、同年二月一七日午前三時ころ被告人榎、姜及び辻外一名において同ゲームセンター内からゲーム機械一二台を運び出し、鄭容洙において同年四月一七日右保険会社大阪支店損害部火災新種課長合原秀幸に対し、あたかも右ゲーム機械一二台が窃取されたように装つて保険金請求手続をし、同人をしてその旨誤信させて保険金額を金八四〇万円と査定させ、同月一八日大阪市住之江区西加賀屋一丁目一番五一号平川物産株式会社において、右保険会社の代理店大田賀弘から盗難保険金名下に右保険会社大阪支店長柏木黙二振出にかかる額面金八四〇万円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

なお、被告人榎、同姜、同下崎らは、右判示第一の(二)の犯行後、その当日午後一一時過ころ、被拐取者鄭容球を安全な場所である姫路市内の路上で解放したものである。

(証拠の標目) <略>

(判示三の第一の(一)及び(二)の事実認定についての説明)

一本件公訴事実の要旨は、「被告人らは、山口及び山本と共謀のうえ、鄭容球を略取して同人の従業員松本らの憂慮に乗じてみのしろ金を交付させようと企て、(中略)鄭容球を略取したうえ、(中略)同人の安否を憂慮している右松本及び鄭容洙にみのしろ金を要求し、松本から現金一一三〇万円及び小切手二通(額面合計金一二〇〇万円)の交付を受けてみのしろ金目的で人を略取するとともに、被拐取者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて財物を交付せしめたものである。」というにある。

二右訴因によると、松本が刑法二二五条の二の「近親其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」に該当する者として起訴されているので、まず、すべての争点の前提問題になるこの点について検討する。「近親其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」とは必ずしも明確な概念ではない。例示として挙示されている「近親」とは直系血族、配偶者、兄弟姉妹を含むことはいうまでもないが、「親族」という概念より狭い意味を持つことも明らかである。そして、昭和三九年法律一二四号により新設された本条は、犯人が被拐取者と特別な人間関係にある者の憂慮という、いわば通常抵抗不可能な窮状に乗じて財物を得ようとする犯人の心情にはいささかも同情すべきものがないから、この種の犯人を無期又は三年以上の懲役刑をもつて厳重に処罰する趣旨で制定されたものであることを考えるならば、「近親」ではない「其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」とは、被拐取者との間の特別な人間関係が存在するため、被拐取者の生命、身体又は自由に対する危険を近親者と同程度に親身になつて心配する者、さらに詳言するならば、被拐取者の生命、身体又は自由に対する危険を回避するためにはいかなる財産犠牲をもいとわない、被拐取者の危険と財産的な犠牲をはかりにかけるまでもなく危険の回避を選択すると通常考えられる程度の特別な人間関係を指すものと解すべきにある。したがつて、単に、被拐取者或いは近親者等の苦境に同情する心情から心配する者にすぎない者は、「被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」には該当しない。これを本件についてみるに、前掲関係証拠によると、松本は、被拐取者である鄭容球が代表取締役をしている株式会社貴章(パチンコ店「土居国際会館」を営む)の常務取締役であるとともに、同人の個人営業であるパチンコ等店「八戸ノ里会館」の管理責任者の地位にあり、鄭容球が代表取締役として、又営業主として全権限を掌握し、松本は両会館における現場営業面の最高責任者として鄭容球のいわば片腕的な立場にあり、この関係は十年余も継続し、互いに他を必要としていたことが認められるものの、所詮は互いに必要とする範囲で結合された人間関係であり、その中心は従業員と雇主という経済的利害に基づく結合関係にすぎず、現に、前掲証拠によると、松木は本件の被害者としての立場にあつたが、被告人榎の能力を惜しみ、その人柄を愛し、鄭容球が松本を退職のやむなきに至らしめたことについて鄭容球を非難し、パチンコ業界における従業員の地位が弱いことを主張したことなどから、本件後鄭容球と不仲になり、同人から本件犯行に加担したものである旨のあらぬ言辞を投げかけられて退職のやむなきに至つているものであり、到底前記法条にいう「被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」とはいいがたい。

三ついで、被告人らが鄭容球を略取するに際しての目的如何について検討を進める。前示の如く、松本は「近親」ではなく、又「被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」にも該当しないと解されるからして、被告人らが鄭容球を略取し松本から財物を取得する目的は「被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」以外の者からの財物を取得する目的として刑法二二五条の営利目的拐取にとどまるものであるからして、被告人らが鄭容球を略取するに際し、現に、いわゆるみのしろ金を交付した鄭容球の弟である鄭容洙ら「近親其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」(以下、近親等という。)の憂慮に乗じて「其財物ヲ交付セシムル目的」を持つていたか否かである。(1)被告人榎の検察官に対する昭和五〇年一一月六日付供述調書によると、「私としては、貴章社長(鄭容球をさす。)をさらつても身に大金を抱いていないことは分つていましたから、さらつてどこかにとじ込めたところで、その場で金を出させられないことから、実際に金を出させるのは貴章社長に松本常務等に電話をかけさせて金を出させるという方法を考えていました。そのことはその場に居た下崎、山口、山本それに姜も辻も分つていたと思います。」との供述記載があり、(2)同被告人の検察官に対する同月七日付供述調書によると、鄭容球を略取し、姫路市の県営住宅に連込んでのち、「その場の貴章社長は金を持つていないことは分つていたので私らは誰一人貴章社長の財布などをあらためてはおりません。初めから貴章社長をさらつたあとは、松本常務か貴章社長の身内つまり金持ちの兄弟などから金を出させるつもりでこの計画を立てたのであつてそのことは他の五人も知つていたはずです。私は貴章社長にB帳簿のコピーを見せはしましたが、この場でこれを買い取れとは言いませんでした。」「……現金は店においてないと貴章社長が言うので、結局貴章社長の店だけでなく、俊文社長(鄭容謹をさす。)にも金を集めさせろと言つて私は五千万円を要求したのです。」との供述記載があり、(3)同被告人の検察官に対する同月一〇月付供述調書によると、「私が加賀屋会館の俊光社長(鄭容洙をさす。)の下で店長をしていた時、俊光社長が藤原組からさらわれてこれを人質に二千万円位を取られ、その金を俊文社長が出してやつたという事をその事件があつてから後、俊一社長の口から聞いていたのです。私はその事件ですんなり金を取れたのを知つていたので、今回貴章社長を誘拐して金を取る時も監禁した場所か、どこかから、まず松本常務に電話で金を作るように言うほか、貴章社長の兄弟にも直接電話するかしてできるだけたくさんの金を集めさせ松本常務に私らの所まで持つて来させようと考えたのです。」との供述記載があり、(4)被告人姜の検察官に対する同月七日付供述調書によると、大阪国際ホテルで「なお、みのしろ金を取るということについては、榎らは特に誰から取るとは口にしていませんでしたが、私は平川社長を店から自宅に帰る途中を誘拐するのだから現金を身につけていないだろうと思つていましたから、監禁場所につれて行つたあとは平川社長の従業員である松本常務に電話をかけさせて松本常務が金をかき集め、あるいは平川社長の兄弟や平川社長の家族にみのしろ金を作らせるという方法をとるのだと思いました。平川社長を人質にとつておけば、もしみのしろ金を出さないなら平川社長が殺されると心配するだろうから、松本常務や平川社長の身内の者は私らの頼みをきいて金を出してくれるだろうと思つたのです。」「……平川社長をさらつてB帳簿を買わせる、ということは榎が口にしていましたが、これは私としては平川社長がB帳簿を買おうが買うまいが、どつちにしても松本常務ら身内の者から金を出させるわけですからB帳簿自体私は別にどうということは考えておりませんでした。」との供述記載があり、(5)被告人辻の検察官に対する同月一〇日付供述調書によると、大阪国際ホテルで「……榎が今度私達がさらつた平川社長の兄弟のうち誰かの名前を言いながら、やくざに監禁されて金と交換に帰してもろうたことがあるんや、といつておりましたから、私は平川社長をさらつて身内の者に金を出させるように計画が変つたのだなあと思つたのです。それで前にも話しましたが、脱税の証拠をつきつけて社長を脅し、社長に金を出させるという方法から、同じ金を出させるにしても、社長の体をさらつて、社長と同じようにパチンコ店や麻雀店をやつて金回りのいい、社長の兄弟達から、身代金という形で金を取るということが分かり……。」との供述記載があり、(6)被告人下崎の検察官に対する供述調書によると、「サングー(鄭容球をさす。)の兄弟で加賀屋会館の社長が何年か前に極道からさらわれてホテルに押し込められた時、二番目の兄貴が二千万円を段取りして組のもんに払つて人質を帰してもらつたことがある。サングーは八戸ノ里の店に五、六千万円の貯金を持つているから印鑑一つで金はすぐできる。松本常務に連絡して店の売上金と貯金をおろした金を集めて持つて来させよう。サングーの兄弟はみな金持やから松本常務にこつちから連絡したら松本常務は店に金がない時はサングーの兄弟のとこに行つて金を段取りするやろうからその金を届けさせよう。」「……平川社長はその場にたくさんの現金を持つていないことはわかつていましたから、金を出させる相手は、松本常務か或いは平川社長の兄弟などにするつもりでしたが、それでも平川社長に電話をかけさせて平川社長の口から金を段取りするよう言わせた方が金を出させやすいと思つていました。」との供述記載があり、これらの供述記載からすると、被告人らは、鄭容球の近親、なかんずく、鄭容洙及び容謹の憂慮に乗じてその財物を取得する目的を有していたかにもみえる如くである。しかしながら、被告人姜の検察官に対する同年一一月八日付供述調書によると、国際ホテルで「榎は金を取る方法としてサングーは銀行に五、六千万を預金しとるから、サングーに電話を銀行にかけさせて金を作らそう、それを松本か銀行にどこかまで金を持つてこさせようといいました。」との供述記載があり、被告人下崎の検察官に対する供述調書によると、「榎が『サングーは八戸ノ里の店に五、六千万の貯金を持つているから、印鑑一つで金はすぐできる。松本常務に連絡して店の売上金と貯金をおろした金を集めさせて持つて来させよう。』と言つた。」との供述記載があるなど、松本のみから財物を取得する目的であつた旨記載があるのみならず、被告人らは、当公判延において、松本のみから鄭容球の財物を取得する目的であつたこと、かつ、当初はそれで充分と考えていたこと、そして前記(1)ないし(6)の各供述記載は結果論から誘導され、理詰めの追求を受けたがためのものである旨一致して供述しており、右被告人らの当公判延における供述は、比較的信用性が高いものと認められ、みのしろ金目的であれば、鄭容球略取後、特段の支障のない限り近親等に略取事実を通告し、みのしろ金を要求すべきところ、これをすることなく、かえつて同人との間でB帳簿買取交渉を執ようなまでに行い、交渉の結果金五〇〇万円という具体的金額が出てから初めて松本に架電させており、その背景として、被告人榎らは、B帳簿の記載内容を絶対に信用しており、B帳簿によると、鄭容球は一年一か月の間に一億円を優に超す不正所得を得ており、被告人らが同人から五、六千万円を取得することが可能と考えた具体的な裏付けがあつたものであることなどを総合して考慮すると、被告人らが、鄭容球を略取するに際して鄭容洙らの近親等から、その憂慮に乗じて財物を取得する目的であつたとは認めがたく、判示の如く、鄭容球にB帳簿を買取らせ、その代金名下に松本から財物を喝取するとの営利目的であつたものと認定するのが相当である。

四被告人らの鄭容球に対する略取が営利目的であり、同人の近親等の憂慮に乗じて財物を交付させる目的を有していなかつたものとすると、判示の如く、被告人らは、同人を昭和五〇年一〇月一五日略取後、共謀内容に従つて松本に対する恐喝行為に従事し、鄭容球をして松本に架電させたのちの同日午前一一時ころ、被告人榎及び同姜は松本に金庫の鍵を渡し、喝取財物の交付を受けるべく、被告人辻は鄭容球のベンツを取りに行くべく、共に姫路市の県営住宅を出発し、被告人榎及び同姜は新幹線で、被告人辻はレンタカー・デリバリーバンでそれぞれ大阪に向つたものであり、その後被告人榎、同姜及び同辻の関知しない間に被告人下崎、山口及び山本が共謀のうえ同日午後零時ころ近親等である鄭容洙に架電させてみのしろ金を要求し、その後、被告人榎及び同姜が電話連絡により右共謀に加わり松本を介して鄭容洙から判示の財物の交付を受けたものであるから、被告人榎、同姜及び同下崎は拐取者みのしろ金取得の罪責を免れないところである。しかしながら、被告人辻は、鄭容洙に対する拐取者みのしろ金取得についての右共謀に関与しておらず、同人からのみのしろ金取得の事実は、被告人榎らが松本から金員等の交付を受けて犯罪が既遂となつたのちに、右県営住宅にベンツを持帰つて初めて知つたものである。そして、被告人下崎、同榎、同姜、山口及び山本らの右共謀は、被告人辻が関与した、当初の松本に対する恐喝の共謀とは別個、独立に行われたもので、財物を交付せしめる相手方も異なり、右当初の共謀と因果関係のあるものではないから、被告人辻は松本に対する恐喝の範囲内においてのみ共同正犯としての責任を負い、鄭容洙に対するみのしろ金取得については犯罪の成立する余地はない(なお、本件にあつては、後記のとおり、松本に対する恐喝と鄭容洙に対する拐取者みのしろ金取得は観念的競合の関係にあるから、被告人辻に対しては拐取者みのしろ金取得の点について主文において無罪を言渡さない。)。

五本件にあつては、判示の如く、鄭容球に対するみのしろ金目的略取罪を、同人に対する営利目的略取罪に、松本に対する拐取者みのしろ金取得罪を同人に対する恐喝罪にそれぞれ認定したものであるが、右はいずれも前者が後者の特別加重形式として評価されるべきものであるから、前者の訴因に対して後者を認定するのに訴因変更手続を要するものではないと解すべきである。

(累犯前科)

被告人下崎は、(1)昭和四二年二月一三日神戸地方裁判所姫路支部で恐喝未遂罪により懲役一年(三年間執行猶予、昭和四四年一一月二五日右猶予取消)に処せられ、(2)昭和四五年一月三〇日神戸地方裁判所で恐喝未遂罪により懲役六月に処せられ、(2)の刑を昭和四六年七月一五日に、引続き(1)の刑を同年一一月一五日にそれぞれその執行を受け終つたものであつて、右事実は、同被告人の前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人らの判示三の各所為につき法律を適用すると、判示第一の(一)の所為は刑法六〇条、二二五条に、判示第一の(二)の所為中、被告人らの松本に対する恐喝の所為は同法六〇条、二四九条一項に、被告人榎、同姜及び同下崎の鄭容洙に対する拐取者みのしろ金取得の所為は同法六〇条、二二五条の二の二項に、被告人榎の判示第二の所為は同法六〇条、二四六条一項に該当するところ、被告人榎、同姜及び同下崎の判示第一の(二)の恐喝と拐取者みのしろ金取得は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い拐取者みのしろ金取得の罪の刑で処断することとし、同罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人下崎の右各罪は前示前科(1)及び(2)のそれぞれとの関係でいずれも再犯であるから同法五六条一項、五七条により(判示第一の(二)の拐取者みのしろ金取得の罪については同法一四条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし、被告人榎、同姜及び同下崎の判示第一の(二)の拐取者みのしろ金取得の罪については被拐取者を安全なる場所に解放したものであるから同法二二八条の二、六八条三号により法律上の減軽をし、以上、被告人らの判示第一の(一)の罪と、被告人榎の判示第一の(二)の罪及び判示第二の詐欺罪、被告人姜及び同下崎の判示第一の(二)の罪、被告人辻の判示第一の(二)の恐喝罪とはいずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の(一)の罪の刑に(被告人下崎については同法一四条の制限内で)法定の加重をした刑期の範囲内(ただし、被告人榎、同姜及び同下崎については、短期は拐取者みのしろ金取得の罪の刑による。)で、被告人榎を懲役五年に、被告人姜及び同下崎を各懲役三年に、被告人辻を懲役一年一〇月にそれぞれ処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中、被告人榎、同下崎に対しては各二一〇日、被告人姜に対しては二二〇日、被告人辻に対しては二一五日をそれぞれその刑に算入し、押収してある主文第三項掲記の模造刀剣一振は判示第一の一の(一)(二)の各犯行の用に供したもので犯人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項を適用して被告人榎から没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人らに連帯して負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(尾鼻輝次 渡部雄策 大橋寛明)

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